インドネシアの孤児院でのお話

こんにちは


今年の夏休み、インドネシアのスマランのとある孤児院に2週間半住み込みでボランティア活動をしました。活動内容は子供たちへの生活援助やその地域の高校へ訪問し、日本語を勉強している生徒たちとの意見交換会など。


今回は異国の地の孤児院で生活する子供たちと過ごした二週間半で、自分が感じた、一般の人が考えている、日本ほど社会保障制度がしっかりしていない国での孤児院のイメージと、そのギャップを伝えたいと思います。


自分が孤児院に行く前の勝手なイメージ(おそらく大多数の人が持っているイメージ)
・彼らは孤独である
・彼らは社会的弱者であり、言い方は悪いが少しかわいそうな存在
・彼らには親がいなく、愛情を受けず育てられている




しかし


この孤児院に滞在し、子供たちと触れ合い、孤児院で働く人とコミュニケーションをとるうちに自分の中で疑問が生まれた。


なんかイメージと全然違う → もちろんいい意味で


まず、その孤児院には約50人の孤児が生活している。言い方を変えれば彼らには50人の兄弟がいるのだ。そして年齢層は0歳から22歳まで。大学に通っている子もいる。そして彼らには血はつながってないがパパとママと呼ばれる孤児院の経営者がいる。年齢の低い子達はパパとママにまるで本物の親子のようにすがりついいている。そして年齢の高い子が低い子の面倒を見ている。学校から帰ってくると、みんなで遊んでいるのだ。


驚いたエピソードがある。
ある夜子供たちにスナック菓子が配られた。もちろんそれは子供たちの分であり部外者でしかも大人である自分の分はない。するとそれを見た子供たちが一斉に自分のところに走ってきて、僕の、私の、を食べて とお菓子を差し出してくるのだ。
そんな光景がこの孤児院では日常的である。
いったい小学校低学年の子供がどうしたら、たまにしかもらえないお菓子をほかの人に分け与えようとするのだろうか。彼らには兄弟が多い分思いやりがあるのだと感じた。


そんな彼らのどこが孤独などだろうか。よっぽど今の日本人のほうが孤独である。彼らは寄付によって大学にも通うことができる。どこが社会的弱者でなにがかわいそうなのか。かれらにはパパママがいて普通の家庭では考えられない数の兄弟がいる。なにが愛情を受けずに育てられているのか。



百聞は一見に如かずとはこういうことである。


メディアが私たちに植え付けているイメージはたいていかわいそうだとか同情をひくものばかりである。そしてそれをみた私たちはそれをうのみにする。それは実際にそこで生活している人たちに失礼なことだ。


実際に自分で足を運んで世界の現場を自分の目で見ようと決心した19歳の夏でした


  アフリカにいくと決めた理由の一つかもしれません。






はじめまして とある大学生です

2月からアフリカのウガンダに半年間滞在します。
このブログではそこでの生活や感じたことなどを皆さんにお伝えできたらいいと思います。